竹をたずねて :台湾で考えたこと

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台湾の南投県集集のまちで発掘をしたのは、もう35年もまえ。つよく印象に残っていたがタケノコで、アメリカ留学中の学生が、何でもあるがこの生タケノコだけは手に入らないんだと嘆いていたこと、発酵させたものをざく切りにして豚肉と煮た濃い味のおかずが、よそじゃ食えないと自慢してたこと、まるで、香川県人のさぬきうどんに対するようなふかい思い入れをかんじたものだ。

その時は食べるばかりで、何処でどんなタケからどうとるのかなどを聞かなかったので、(属はBambusa、株立ちになるホウライチク系のものらしい)。今回はそれを調べたいものだと思っていたが、結局サボって車の中から見ただけだったけど)

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台中までの新幹線は台北を出るとすぐ水田地帯が広がる。畦を分けるように、一列に植えてあるタケ、田んぼの中に浮島のように区画を採って育てているタケ、屋敷のまわり、実に整然と竹が栽培されている。山や丘には、日本で一般的にみられる、放置されて手が付けられない状態の竹はほとんどない。台湾ではまだ農業がしっかりしていて、日本より自給率が高いのだろう。しかし、新幹線添いの大規模開発地では植生が乱れて、新しい時代の波は確実に見えているが・・・。もう一つは、台湾の人はやはりタケノコを愛しているのだろうということ。

かって、NHKのクローズアップ現代で環境にたいするタケの脅威という放送があったとき、まるでタケが悪者のように言うが、それはイカン、悪いのは人間だという反論があった。考えてみると、竹林や竹藪はあったが、それほど目立たなかった。それは人々がタケを生活のために、道具、建材、燃料、儀式、楽器、おもちゃなど、その多産性を利用してみんなが隅から隅までつかっていたからだ。ところが、現代は手軽で安いプラスチック、石油やガス、化学薬品に置き換えられてしまっているのである。そのために失われたのが風景、環境、そして手仕事の技術や心だとおもう。

いま竹林での市民グループ活動の源泉になっているのがそれに対する反省の心ではないだろうか。そこに、一筋の光を見るような思いがする。この夏は、吹田市民の使ったものをあつめて、さわれる展示を中心にしようと思っている。できるだけたくさん集めて、これほどタケを利用したのか、こんなものにまでタケを使ったのか、これほど活用していたのかが感じられるものにしたいと思っている。皆さまのご協力に期待しています。

(カンチョー)

写真上:集収駅は日本時代に建てられたもの。震災で全壊、立て直され今は観光の目玉になっている。

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