■「シミーン!カムバ~ック!」というカンチョーの声を背に…
「千里ニュータウン展」は誰も思っていなかった?大盛り上がりのうちに終了し(だって44日間でそれまでの博物館実績の2年分の観客が入ってしまったのですよ!元が低すぎたという説もあるけど…)、市民委員はとまどっていたのです。これはこれで良かったけれど、「ずっと」はようやらんで。キャンディーズみたいに美しく終わりたい。でもいま市民が引いてしまったら、また元の閑古鳥に戻るんちゃうか?それは税金の使い方としてアカンやろ。愛すべきカンチョーを置き去りにもできないし…。特に深刻だったのは「自営の人」で、「これ以上入れ込んだらショーバイが成り立たん」というところまで、燃焼してしまっていました。会社員の私も似たような状況で、86歳の父親が「息子は博物館ボランティアに入れ込みすぎて会社は大丈夫なのか?」と近所の人に言っていた…という話をあとでご近所から聞かされ、赤面したことと言ったら…。
■苦渋の選択だった「千里ニュータウン展 特別付録」
この市民の波を、引かせたくない。そう一番考えていたのはカンチョーだったでしょう。「千里ニュータウン展を延長したい」。しかし市民委員に対しては委嘱状の期限もあるし、これ以上引っ張るわけにもいかない。借りた展示物で返さないといけない物もある。そこで「千里ニュータウン展」は6月4日でいったん閉め、市民委員会ではなく博物館の企画として、期限付きの返却物を返して残った展示物を並べ替え、6月17日から「千里ニュータウン展 特別付録」と銘打った延長戦をやることになったのです。「特別付録」の名前を考えたのは私だったのですが、付録でしかないかもしれないけど「特別」付録だよと。そのへんに苦しさがにじみます。
■二代目ブログ「千里ニュータウン展 特別ブロク」を立ち上げた。
これに連動して議題になったのがブログでした。すでにカンチョーはブログの威力に気がついており、「ブログだけでも継続を…いったん切ると客足が遠のく」と食い下がったのですが、市民委員会が出した結論は「千里ニュータウン展のブログは終わらせる(更新は止めて置いておく)。代わって、市民有志が行う二代目ブログを立ち上げる。ケジメはつけるがリンクは張って読者は誘導する」というものでした。形式にこだわったのは、初代ブログをやっていた市民委員会は「解散」するので、主体が解散しているのにブログだけ続くのはおかしいのでは?…と、やはり「ためらい」があったのですね。furokuのblogだからということで、名前は「ブロク(buroku)」という駄洒落になりました。新旧のブログは「さよならパーティー」をやった6月11日深夜にバトンタッチしました。(※doblog→ウェブリブログへの移行時に、この2つのブログは統合しました。)
■今までで一番の落ち込み
しかしカンチョーが懸念したとおり、いったん切ったブログは盛り上がりませんでした。今見てもニュータウン展が終わった6月4日以降はガクッと記事が減っているのがわかります。皆燃焼しきっていたし、生活に戻らないといけなかったし、カンチョー自身も溜めていた原稿を書かないといけなかったし、なんといってもブログに「書くこと」がありませんでした。ムリヤリやった「千里ニュータウン展 特別付録」は、(バスオールとミゼットという2大スターが残っていたにもかかわらず)残り物を並べ替えた印象で、ストーリーが分断されてしまい、市民から見ると同じ展示物で構成されているとは思えないほど精彩を欠いた展示でした。急に延長したためイベントも数えるほどしかなく、「だから言わんこっちゃない…」と思いましたが、カンチョーとしては「細くなっても火は絶やしてはいけない」と必死だったのだと思います。「特別付録」は展示も観客もスカスカのまま7月23日に終了し、その日の晩に二代目ブログは「歴史博物館が刻む歴史を伝えるブログ 」と名前を変えました。
■閑古鳥から不死鳥へ
博物館は再び閑古鳥、しかしブログは続けたい…という状況の中から、カンチョーは「市立博物館は市民の文化活動のオリエンテーションセンターであるべきだ」という論をぶちあげ、元市民委員にしぶとく根回しをし、「なんでもいいからブログ書いて書いて運動」を始めました。吹田市立博物館の出来事に限らず、居酒屋たんぽぽでの市民交流、ピアノ池のヒメガマ刈り、ほかのニュータウン訪問記、博物館見聞録など…地域文化を広く記録するブログへと拡大解釈を行ったのです。この根回しがゼツミョーで、「館長は市民に命令はできない」と言いながら、「お願い」と言うのかなんと言うのか?なんとかブログを書かせようとコチョコチョ興味をくすぐるようなメールが何度も何度も飛んでくるのです。博物館のイベントと日時がバッティングしている館外でのイベント告知でさえ、「ぜひ書いてください」と、これには少しカンドーしました。活性化されるべきは博物館よりも市民の文化活動である…という広~い心!
■「子ブログ」の誕生
博物館ブログは中だるみ期だったけれど、この時期に注目すべきは、博物館に関わった元市民委員たちが、自分のブログを始めたことでしょう。「Bonjourあんず」(現「鶯のさえずり」)「アラウンド・藤白台」「たんぽぽブログ吹田」など、「子ブログ」とでも言うべきブログが次々と生まれました。カンチョーは「ネタが切り出されてしまう…」とややフクザツな心境のようでしたが、結果、相互リンクが増えて検索順位に寄与する…という効果もあったのではないでしょうか。「すいた市民環境会議」「千里市民フォーラム」のように、既存HPの一部または全部をブログに改装する例もありました。ブログの一般化という社会現象と「千里ニュータウン展」がちょうど重なった。それが2006年でした。
■「千里ニュータウン展」と「飛びバナナ」
「特別付録」はヒサンでしたが、「千里ニュータウン展」の波紋は終わった後も広がっていました。まず、高蔵寺ニュータウンを擁する愛知県春日井市の学芸員さんが遠路「千里ニュータウン展」を見に来られ、ちょうど企画していた「大団地展」に「千里ニュータウン展」のバナナの展示が取り入れられました。バナナは輸入自由化によって豊かさの幅が広がった高度成長期のリビング風景の象徴でした。「飛び梅」ならぬ「飛びバナナ」というわけです。okkunはこの飛びバナナを見に、高蔵寺まで行ってきました。
■せんちゅうでも…
「千里ニュータウン展」の市民委員会にはお隣の豊中市民も加わっていましたが、千里中央の公民館でもこれの豊中版をやりたいという話が持ち上がり、「千里ニュータウン展@せんちゅう」が9月1日から行われました。これはまったく市民企画でしたが、共通のパネルはごく一部で、上新田に関する展示などかなり新しい要素を持ち込み、コンパクトながらも博物館での「千里ニュータウン展」とは一味違ったものになりました。
■チャレンジするカンチョー
このころ博物館ではどんな展示をやっていたのでしょうか。「特別付録」が7月23日に終わったあと…2006/8/5-9/10「吹田の景観を掘り起こす」、9/16-10/15「さわる 五感の挑戦PARTⅠ」、10/21-12/3「昔の文字を読む」、12/12-2007/4/8「むかしのくらしと学校」…地道な展示が続きます。しかしカンチョーの挑戦は続いていました。なかでも「五感の挑戦」は最初から「PARTⅠ」と名乗る意気込みで、定着させて博物館の幅を広げたいというカンチョーの思いがにじみます。9月10日には「すいはく初の国際シンポジウム」?も行われました。カンチョーが人脈を駆使してとっかえひっかえいろんな人を呼んできていたことが、いまブログを読み返すとわかります。10月6日には梅棹忠夫さんもお越しになりました。
■ミリカが呼び込んだ大量コメント
低迷を続けていた博物館ブログでしたが、12月9日に異変が起きました。この日は市民ボランティアによる喫茶コーナー「ミリカ」が50回記念を迎えたのです。ミリカママはときには皆の前でべそもかきつつ、千里ニュータウン展が終わった後もコツコツと週末やイベントの日に出店を続けていたのでした。暑い日も寒い日も風の日も立ちづめで50回って、すごいがんばりです。ニュータウン展の元市民委員が集まり、博物館は同窓会のようになりました。その晩、レポート記事につきはじめたコメントがロング・チャット状態になり、気がついたら一つの記事に付いたコメント数としては新記録を樹立!ニュータウン展の準備中はMLでやっていたことが、ブログのコメント上で再現されたのです。ブログは使いようでイベントにもなる…(これをネットでは「祭り」といいます)。博物館ブログに新しい世界が開けた出来事でした。そして暮れも押し詰まった12月30日には、ニュータウン展の「二匹目のドジョウ」を狙った「万博展」の市民委員募集の告知が出ました。(つづく)
(by okkun)
コメント
2匹目のドジョウがクジラを生むんじゃないか。「つづく」にさらに期待。会社のほう、大丈夫?
ヨンサマって覆面カンチョーですよね。会社のほうはブログの功績が認められて出世してしまいました…ってのはウソですが、ネット担当になっちゃったのはブログのオーラを出してたせいではないかと思っています。
ヨンサマはカンチョーではないそうで、大変失礼いたしました!文体が似ていたもので、つい…