その1 人類学的探検
私が初めてめぐり合った先生の著書*1は「モゴール族探検記」岩波新書、56年であった。
「地理的探検という意味では、現代はもはや探検の時代ではない。しかし人類学的探検ということになると、それはまだ始まったばかりである。
わたしたちは、自分自身が人類の一員でありながら、人類の他のメンバーについては、
しばしば意外なほどものを知らない。これからは~人類学的探検隊がくりかえし
くり出されなければならない。」(前書きから)
そしてこの人類学的探検隊はアフガニスタンへモンゴル帝国の末裔と思しきモゴール族を探し求めに行くのである。
当時、社会党の左右統一が実現、所謂55年体制が出現、岩波新書には「社会主義入門」「ソ連邦の経済」「中国の建設」などが並ぶ時代であった。
その中でこの探検記は西堀栄三郎「南極越冬記」58年などとならび異色であった。
私は大学の2年生、人類学とは原人の頭骸骨の研究だろう位の認識しかなかったから、「人類学的探検」というものがあるのだということを教わり新鮮な体験であった。
先生にとっては、この探検は実に意味の深い、稔りの多い旅であったのだと推察する。 というのは後に発表される生態史観を着想する旅であったと述懐されているからだ。
この探検記が出て半世紀、アメリカがアフガニスタンを攻撃しだした。
梅棹先生曰く、
「カブールとは発音しない、カーブルが正しい。」
「第2地域(アメリカ)が第1地域(アフガニスタン、イラク)に手を出したら大火傷してベトナムの二の舞になるぞ。」(4金会で)*2
その通りになってしまった。
アメリカは正義論が盛んな上、理屈を立ててその通り
行動しようとする。
世界の平和のためにはアメリカが大人にならなけばならない。
そのためには日本がアメリカにもっと人類学的探検の成果を、
梅棹学を学ぶよう説得する必要があるのではないか。
なおこの探検記の姉妹版として岩波写真文庫「アフガニスタンの旅」56年が出ている。 写真、文共に梅棹忠夫である。
*1 単著で公刊された著書はこれが第1号ではないかと思う。
*2 毎月、第4金曜日、千里で梅棹先生を囲む会がある。4金会という。
小松左京さん、民博の石毛先生、小山先生などが常連、
私は90年代の終わりごろ加えて頂いた。
(加福共之)
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