★講演会★ため池の地層と大阪における環境の変遷

終戦記念日の15日、博物館では大阪市立大学名誉教授・吉川周作先生の講演会がありました。
東京大学出版会が2007年06月出版した「地球史が語る近未来の環境」で吉川先生が担当した部分をベースにした大気汚染とため池堆積物のおはなしでした。

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人類とエネルギーとのかかわりに目を向けると、人類は10万年前ころから火をつかうようになり、7000年くらい前から家畜のエネルギーをつかうようになり、13世紀末ころから石炭を暖房につかいだした。
と、ここまでのエネルギーの消費量はたいしたことはなかった。
しかし17世紀末の産業革命以来、エネルギーの消費量は指数関数的な増加をたどってきた。大阪でも1870年代から工業都市として発展し、「煙の都」と呼ばれるようになってきた。そして1950年代のなかばからは大気汚染が深刻化し公害問題が指摘されるようになった。
1970年からは大気汚染防止法に基づき二酸化硫黄、窒素酸化物、浮遊粒子状物質などを測定するようになった。2001年からは有害大気汚染物質(塩化ビニルモノマー、クロロフォルム、水銀およびその化合物など)のモニタリングも始まっている。しかし1970年代以前の観測データは極めて少ない。

一方、流入路のない溜池や堀の堆積物に過去が記録されているのではないかと思い研究が始まった。

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大阪城の堀と長池(阪和線南田辺駅近く)で調査した。1~2mの堆積物を採集してその年代を特定する必要がある。その方法としてセシウム137(Cs-137)の検出が重要になってくる。Cs-137は天然には存在しない物質で核爆発で大気中に散布されたもの。

1954年から1963年の間に米ソ仏などが頻回に大気中の核実験をした。翌年からは大気圏内での核実験が禁止されたので、Cs-137が検出される最後の部分が1963年と決定できる。(1945年に米国で原爆実験をし、日本に二つの原爆が落とされたが、規模が小さくてため池の堆積物からは検出されない)

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このようにCs-137やPb-210、C-14年代測定法の他に歴史文書や考古遺物との関連から堆積物の年代を詳細に決められるのだ。

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調査の結果
化石燃料の高温燃焼によって放出される球状炭素粒子(Spheroidal carbonaceous particles :SCPs)は1930年代から現れ、1950年代前半から増加し1960年ころに最大となった。ばい煙排出規制とともに減少している。
空襲による火災や産業活動により多環芳香族炭化水素(Polycyclic Aromatic Hydrocarbons:PAHs)濃度は増加し、ばい煙の排出規制で減少傾向を示した。過去70年間でもっとも大気中にPAHsを放出した事件は大阪大空襲だった。この点でも戦争は環境破壊のきわみだといえる。
1950年代前半からの重金属汚染の広域化が大阪市内および周辺のため池や堀の堆積物に記録されていた。

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大都市の影響をうけない離島のため池の堆積物を調査中だが、
大阪では1970年以後、石炭や石油の燃焼で排出される球状炭素粒子や球状炭素粒子は減少しているが隠岐島では増え続けていることは中国由来の堆積物と考えられ、中国の経済発展を表現しているようだ。

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(おーぼら)

コメント

  1. okkun より:

    お堀に浮かべたイカダひっくり返らないのかな?僕とても立てないです。

  2. 団塊の婆 より:

    広島&長崎原爆が規模が小さかったから堆積物が大阪にはないとは…愕然としました。
    つい先日、広島原爆被災の方から話を聞いたばかりで…今の水爆などは当時の広島のものと比べると5000倍もの強さ、日本は全域被爆する、などとおっしゃっていましたが。。。

    堆積物っていろいろなんですね。
    そういえば、酸性雨が問題になりましたがそんなものは何か堆積物があるのでしょうか…

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