2006年10月6日(金)午後、国立民族学博物館顧問の梅棹忠夫先生が、吹田市立博物館におこしくださいました。
まず最初に、実験展示「さわる 五感の挑戦 PART I」の展示場へ。
担当のT学芸員の説明を受けながら、一つ一つ手にとって感触を確かめておられました。
このあと、小山カンチョーが梅棹先生に、今回の展示の感想や博物館についての考え方などをうかがいました。
小山:先日、広瀬さんから、梅棹先生を民博の触る展示をご案内したとき、先生が(触ってもわからなくて)「絶望的やな」とおっしゃったと聞いたのですが。
梅棹:(触って理解するというのは)別の文化だから、習熟しないといけない
・・・中略・・・わたしはまだこの世界では未熟
(目が不自由になられて21年目だそうです)
民博に就職して以来、梅棹先生に論戦を挑みつづけているけれど、連敗につぐ連敗を重ね、いまだ一勝もできない小山カンチョー、久々にローマ字表記論打破?に挑むのですが・・・・
梅棹:(ゆったりと、でもキッパリと)なんであかんのや?
(今日もやっぱりダメなようです。しかし、こんな力強いお言葉も)
―今年の春、ここで千里NT展をやったのですが、市民がいろいろモノをあつめたりイベントの企画をたてたりして、従来の博物館の枠にはまらないものになりました。それに対して、邪道だ、アカデミックでないという批判もありました・・・
梅棹:それがどうして邪道?博物館は市民のものです。アカデミックの世界は、別にちゃんとあります。
小山カンチョーにとって、梅棹先生こそ民博時代の「館長」。つい「館長・・・」と呼びかけそうになっておられ、聞いている方は一瞬、どちらの「かんちょう」のことかと混乱。。。いつまでも偉大なる師匠なんだと感服しました。
そもそも小山カンチョーの日ごろの主張「展示物には触らせろ。ケースにしまいこむな」は、梅棹先生が民博で率先して始められたこと。当時も「そんなことをしたらたちまち盗まれてしまう。展示物がなくなってしまいますよ」と反対意見は多かったそうですが、
梅棹:何ヵ月たっても、盗まれたものはなんにもなかった。日本では大丈夫なんや。わたしは日本の観客を信じたんや。
と、静かな中にも気迫のこもった言葉を聞かせていただきました。
最後に、先生がこよなく愛されている千里の変化について伺いました。
梅棹:千里は私のふるさとやな。人はとしをとるし、建物は古くなるけれど、町というのは生きているから変わるんです。新陳代謝は生きてる証拠です。だから保守的にならんと、変えるものは変えていったらええ。改良していったらええ。実際にそうなっているのとちがいますか?
…先生は京都から千里に来られたのですが、人には2つ「ふるさと」があって、ひとつは生まれ育った「与えられたふるさと」、ふたつめは自分が志や夢を持って「選び取ったふるさと」があるのかなあ…と感じました。
梅棹先生、ありがとうございました。また、おこしになって、連勝記録を伸ばしてください。
(by こぼら+okkun)
コメント
6日の午後、久しぶりに博物館へ行きました。あの3階の受付嬢に大枚の200円を払い、特別展示室へ。さわる展示?どうしても私達は目で確認してから、触って確かめる感じになってしまいます。堅い・柔らかい・丸い・角っぽい・つるつる・ざらざら・冷たい・暖かい手から感じとれる感触はこんなものです。でも視覚障害の方は、もっと多くのものを感じ取られるのでしょう。来年は視覚障害者の方から、「上手な触り方を学ぶ」講座はどうですか?私達、視覚から物を理解している者にとって、きっと、異文化の方から学ぶものは多いと思います。
仕事がなければいきたかったのに。上手な触り方(男ども、訴えられないセクハラの触り方じゃないですぞ)講座賛成!!