館長ノート

アルルのカフェ: ゴッホ

ユーレール・パスの期間がまだあまっていたので南仏に行くことにした。TGV(新幹線)ができたのでパリからアビニオンへ2時間半でいける。 ここは明るく、空気が乾いて暑く、照りつける日射しがきつい。パリのよどんだ気候の下で鬱病になってしまったゴッ...
イベント報告【終了】

わたしと万博(25-3)…お祭り広場うらばなし3.

お祭り広場の運営ディレクター、伊吹健さんの「万博びっくりショー」、お話は尽きることなく続きます! ●大屋根の下で… お祭り広場では「日本のまつり」を集めたイベントもあった。文化財も来る。高山の人形からくりなど養生がたいへん。お祭り広場の大屋...
イベント報告【終了】

わたしと万博(25-2)…お祭り広場うらばなし2.

お祭り広場の運営ディレクター、伊吹健さんのお話は続きます! ●難民行列?に見えたリハーサル 開会式が迫る3月。どうも天気がアヤシイ…。開会式リハーサルの13日は激寒!各国の旗を点検して掲揚したはずなのに一つの国の国旗が上下逆になっていた。自...
館長ノート

ウィーン万博と観覧車

濃い緑の枝を広げたマロニエの街路樹の向こうにがっしりした鉄の構造物が頭をのぞかせている。あれはウィン万博の時にイギリスの建築家がつくった、そしてあの傑作映画『第三の男』の舞台となった、と市内観光のツアーガイドが説明している。あの映画といえば...
イベント報告【終了】

わたしと万博(25-1)…お祭り広場うらばなし1.

7月29日(日)、「万博びっくりショー」と題して、お祭り広場の運営ディレクターをつとめられた伊吹健(いぶき・たけし)さんに万博のさまざまなエピソードをお話しいただきました。伊吹さんは中国生まれ。日本に引揚後「吹田事件」にも立ち会われ、演劇の...
館長ノート

パリ万博:携帯&PCメールfrom自宅 だけどヨーロッパ(と万博)の話(41)

最初の万博はロンドン1851というのが通説。 しかしフランス人はそう考えていませんね。 万国博覧会と称したのはパリ1855がはじめ、そして彼らにとっての万博とは1889のエッフェル塔をたてた時のヤツ。おみやげ物街を歩くと、キーホルダー、置物...
万博・EXPO

わたしと万博(24)…万博少年になれなかった僕の万博体験記

1970年の夏休み。両親共働きの平凡家庭に育った僕は、案の定、どこにも連れて行ってもらえず、クーラーもない居間でゴロゴロ・・・。小学校2年生。京都市内の北部にある小学校だったが、たしか3年生以上は遠足で万博見学に出かけたはずだった。 友だち...
館長ノート

も一つ エアメール from ヨーロッパ(40)

ドレスデン 1934 ドレスデンの町は、もし鴎外や茂吉がいってれば、立派でおどろいたでしょうね。マイセンなどをひかえ、美術工学の発達が、外の東ドイツより経済復興に有利だったのか。 ドレスデン 1949 徹底的なバクゲキによるハカイ。1945...
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7月29日(日) ビックリショー:万博うらばなし

■ビックリショー:万博うら話!■ 7月29日(日) 14:00~ 吹田市立博物館 講座室 ゲスト:伊吹健氏 聞き手:明石尚武氏 お祭り広場の運営ディレクターとして活躍された伊吹氏をお迎えし、わいわいやります。万博ファン必見。本当にびっくりの...
館長ノート

まだまだ エアメール from ヨーロッパ(39)

これはドナウじゃなくてボルダビ川。 ハンガリーには森がほとんどなかったのですが、ここはなかなかのもの。それでもドイツ的な林業でアカマツが主体のものが多いようです。マツタケを生やせば、日本に輸出して金もうけができるのではないかと思いました。(...