索餅(さくべい)って何だ? :古代の麺を考える

画像うどんを食いながらふと考えた。
日本人は何時からうどん(というか麺)を食い始めたのか。
三輪そうめんのY社長にきいたら、「索餅(さくべい)」がそうめんのオヤです、そして、日本のそうめんのオヤ元がヤマタイ国の女王ヒミコをほうむった箸墓がある三輪です、と自信満々曰った。私は小さい頃、親父に「うどんはお大師さんが唐の国からサヌキに持ってきた」と聞き、それを信じていたのに。地方の人は勝手にいろいろ話を作るものだわい。

索餅は延喜式に作り方の記載がある。小麦粉1石5斗:米粉6斗:塩5升で、675束を得る、とある。さぬきうどんの粉の調合が小麦粉400グラム:濃度10%の塩水200グラム、とあるから比率は似ている。だから奈良時代にはすでに、うどんあるいはソーメンの類を食べていたと言えるかもしれない。でも索餅は何で米粉なんか混ぜるんだろう。そのためか、索餅はソーメンの類ではなく、お菓子だったという意見もある。

考古学の遺跡からは、食品は残滓のほかはほとんど出てこない。だからどんな料理であったかを知ることは至難の業である。こうなれば、ものにこだわるのではなく、民族学などから状況証拠を固めていく他はない。
4月24日(土)に講演していただく石毛さんは、食文化の泰斗で、「文化麺類学」という著作がある。蘊蓄にみちた話が聞けるだろうと楽しみにしている。(皆さんも質問があればどしどしお寄せ下さい。)

(カンチョー)

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