館長ノート 7

癒しの場
●神社や祭礼にかかわることは、藤井さんに民俗学からの視点からの文をおねがいしていましたが、バタバタしてるうちにそちらが先にでました。これからも皆様に応援をお願いすると思います。よろしく。意見や質問もどうぞ。

11月27日(日)には「縄文のカミ-太古の祈り」の講演でアニミズムについて話します。 (←カンチョーのCMです。おーちゃん注

筑波学園都市は、千里NTより少し遅れて立ち上がったNTの一つですが、73年にその中心である筑波大学が開学されて本格的に動き始めた頃、相次いで自殺が出るというニュースが流れました。なぜだろう、ふせぐ方法はあるのかという議論のなかに、「道ばたに祠をつくったり神社をたてればどうだろう、という意見があり、おもしろいと思いました。
コンクリートや金属でできたSF的な都市景観は、あまりにも無機的で冷たく、心を癒される場所がないのだと思います。(学者や研究者というアヤしい人(ワシャ正常でっせ)があつまり、しかも独身や単身赴任が多い、という特殊な社会構成は、ふつうの家族が中心となる町とは異なる性格をもっていました)。
しかし、心の問題をおきざりにしたことは千里ばかりでなく、すべてのNTに共通するものではないでしょうか。こころの動きは複雑で多様です。これはつまるところ宗教の問題に突き当たるからですが、その基層には、国境や時間を超えて、世界に共通するものがあるのです。
それはアニミズムあるいは、自然崇拝です。太陽、月、山、大きな岩や、樹木などをみると、つい手を合わせ拝んでしまうことは、私たちがふつう経験することです。自分の住む土地そのものに神性を感じるのはそれが総合されたものであり、子どもの頃から風景として刷り込まれているからではないでしょうか。

その点でわたしが注目しているのは神社です。神社は「靖国」問題などめんどうな面もあるのですが、一方で、縄文時代から続く「地の霊」として崇拝されつづけてきたと思うのです。NTには神社がないのですが、その周辺の地には、(延喜式に記されている)奈良時代以来の名社があります。NTの人たち、特に第二、第三世代の子どもたちが自然とかかわりはじめているのではないでしょうか。
そこには、大木や森があり、岩、池なども祀られています。そして、初詣、春祭り(豊年の予祝)、夏祭り(夏越し)、秋祭り(収穫祭)、七五三などの通過儀礼にふかく関わっていることに興味をそそられるのです。こころは展示に反映できるでしょうか。

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