わが町…梅棹忠夫先生に聞いたこと

千里ニュータウンから広域千里(Greater Senri)へ

梅棹さんほど千里を愛し、その発展に期待をかけた人は少ないと思います。生粋の京都人で、京都に人一倍の愛着をもっているはずですが、大阪万博に深く関わり、跡地に国立民族学博物館をつくって、館長となった1975年から、職場と住居は同じ地域であるべきだという日頃の主張どおり、千里ニュータウンに本居を移したそうです。夕方、奥様と散歩しているところを見かけた人も多いと思います。

マンション住まいは、狭いのがつらいが、まことに、便利で快適である。高層住宅が建ち並び、新幹線、国際空港、高速道路が入り組んで、日本ばなれしていると言う人もいるが、これこそ、現代日本の代表的景観である。千里は、ニュータウンと限らず、吹田、豊中、摂津、池田、茨木、伊丹、池田(市)をふくめた「広域千里」としてとらえるべきだ(こういうダイナミックな発想は今回の特別展でも基本におくべきだと思います)。
短大以上の大学は20以上、それに加え多くの研究機関や文化施設がある。大阪、京都、神戸と肩を並べうる、国際文化都市である。知的水準の高い地域で、凡百のベッドタウンや集合住宅地ではないのだ、等々。話していて、いつも驚かされるのはそのビジョンの大きさで、しかも空論ではなく実行に移していることです。

ちなみに、梅棹さんの関係する千里と名のつく、グループや組織、出版物を考えるといくつかの名がすぐ思い浮かびます(まだあるかもしれません)。

○『Senri Ethnological Study』,『Senri Ethnological Survey』。民博の英文刊行物:館員の研究成果。世界に千里学派ありと名乗りをあげる。
○『千里眼』:千里に住む(働く)知識人の同人雑誌。自由なエッセイを中心としており、現在90号を越え、単行本を生み出している。
○千里クラブ:千里中央のニューサイエンスビルにある。夜、集まり酒を飲みながら、知的会話を楽しむ。集会やシンポジウムも盛んに行っている
○千里文化財団:千里における知的活動の支援。

「千里が好きなんですね」、「そうや」。千里という名の響きの中に、若い頃、縦横に駆けめぐったモンゴルの大草原を思い出しているのでしょうか。昨年の「足とはきもの展」のときは、若き日の山について楽しいトークをきかせていただきました。今回の特別展でも是非そんな機会をもてればと思いました。(小山修三)

参考文献 梅棹忠夫 1990 『千里暮らし』 講談社

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