アボリジニが煙で病気を治すのを見た。ドイツの薬屋は漢方薬の店のようだった。元同僚のIさんはミクロネシアの島で、ストマイで治らなかった足の傷がおばあさんが葉っぱを集めて叩いた汁をつけたら、一晩でなおった。わたしたちは今、西洋医学の世界に住んでいるけれど、それが万能でないことはうすうす感じているはずだ。
世界の民族はながい歴史の中で、身体の不調をなおし、死に至るのを防ぐという努力を続けてきた。治療の内容はおまじないから薬草、手術までさまざまだが、それなりの効果を上げてきた。その多くは、痛みや体不調をなおすトンプク的なものがおおいのだが、なかには何千年という歴史をもち、体系化されているものもある。その1つが東洋医学で、もちろん中国が中心だが、日本、韓国、チベット、モンゴルなどにも、地域色を活かした体制ができている。
医療民族学という分野がある。日本の医療史を調べた大貫恵美子さんの『日本人の病気感』という本を見ると、お灸や鍼の治療は、明治の近代化によって大変な迫害を受けた(今でも保険がきかないヨー)。それでも細々と残っているのは、その道に長く携わってきた障害者の救済があったからだと述べている。政府の選択はただしかったとは思うのだが、その背後には政府が来たるべき戦争に備え、外傷手当の得意な西洋医学にするという悪意を感じるのは私だけだろうか。
いまでも按摩、お灸、鍼、漢方薬ひいては呪い、祈祷などの伝統的な治療は消えていない。私がはじめてギックリ腰になったとき、医者に行ったら「腰にサポーターをして、アリナミンのんで、じっとしてなさい」といわれた。そんなことでこの痛みがおさまるものかいな。で、ハリにいったら、その日のうちに楽になった(子どものころお灸を据えられて泣いたことを想い出して、こわかったー)。日常生活に突然襲ってくる、痛みや、肩こり、40肩、ぎっくり腰などのいわばマイナーな日常的身体不調の治療はむしろ東洋医学のほうが進んでいるような気がする。
最近は東洋医学のソフトな医療を見直し取り入れる病院も多くなり、専門学校も増えて若い人たちが参加し始めていることはこころ強い。それは、中国で研究が進められていることや、西洋医学との違いや相似を考えて、新しい世界を開こうとしている人々がそれをひっぱっているからである。この本の著者、藤本蓮風さんもその1人、いやその施術効果のすごさとカリスマ性からみて斯界のトップランナーと呼ぶべき人である。
本書は、東洋医学の理論(哲学と歴史:4~7章)と自らの治療の記録(1~3章)の2部に分けられるだろう。1~3章は、アレルギー、癌、鬱病、バセドウ氏病などの難病に挑み効果を上げた実践の記録で、「新東洋医学」とでも呼ぶべき新しい世界が展開しつつあることを感じさせる。理論と歴史についてはセイヨー頭になっている私にはまだ理解が困難と白状しておこう。ただ、人間の身体を心の部分も含めてホーリスティックに、たとえば1つの宇宙として、捉えようとしていることがわかる。その点では、第1章の「自分の健康は自分で知ろう」ということが、東洋、民族、西洋をふくめた医療の根幹にふかく根ざすものであることが分かるのである。
蓮風さんには、すいはくの講演会にも来ていただいたことがある。治療の現場を見ていると、さわり方に特徴があり、手の感触を大切にしていることがよく分かる。
(カンチョー)
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